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優子社長が勇気とパワーをもらった超努力家の浅田真央選手、ありがとうございます

優子社長はフィギュアスケートの浅田真央選手が大好きです。

最近はずっとテレビ観戦ですがずっと現地観戦をしていたことがあります。

1度だけ写真とサインをいただいたことがあります。

あれだけのスターなのにファンである私たちを見つけると

「待っててくださったんですね〜」

とふわぁとしたいつものテレビと変わらない方でした。

緊張して浅田選手の隣に行くのを忘れてしまいましたが

一緒に写った写真は一生の宝物です。

優子社長は荒川静香さんが16歳で長野オリンピックに出場したあたりからが

本格的なフィギュアファンです。その時は村主章枝さんのファンでした。

見ていて、表情が豊かで楽しそうに演技されていたのが印象的でした

心から楽しんでいるような、それが全身から溢れているような人に憧れる

そこからは、フィギュアスケートのテレビをいっぱい見て

知識をつけていきました。

今でいうフィギュアスケートに暴走したということでしょうか。

フュギュアスケート部がある高校に進学する!!とまで言って周りは大騒ぎでした

すみません

浅田真央選手のことを知ったのは15歳でグランプリファイナルを制し

一躍有名になった時です。グランプリファイナルは

6戦あるグランプリシリーズのうち各選手が2戦出場し、

試合ごとの順位にポイントが決まっています

(1位なら15点、2位なら13点など)

6戦終わってその合計点が上位6選手のみがグランプリファイナルに出場するのです

つまり常に上位の成績を収めた選手ということです。

フィギュアスケートをずっと好きだったのですが

浅田真央選手の存在は、15歳でグランプリファイナルを制したことで騒がれた時です。

あの頃はテレビでフィギュアスケートを放送することは少なくて

とにかくテレビでフィギュアが見れるなら!!と見ていました。

あのとき無敵の女王だったイリーナスルツカヤさんを破ったことは衝撃でした。

優子社長はその頃は村主章枝さんが好きで、浅田選手に年齢制限の特例が出て

オリンピック出れるようになったら、村主さんの五輪出場が危ない!!

と、浅田選手は村主さんを脅かさす存在として思っていました。

ただただ浅田選手をすごい!!と感じるだけでした。

ファンになったのはトリノ後、そのシーズンはジュニアからシニアに変わったときです

ジュニアとシニアがあって、ジュニアには現在なら本田真凛さんがいます

年齢と成績の関係でシニアに行けるかどうか決まります。

ショートプログラム(規定の演技)とフリープログラム(ある規定を守れば自由にできる)

の合計得点で順位が決まります。

SP→ショートプログラム FP→フリープログラム とよく略されます。

シニア参戦のときのSPそれがノクターン

妖精が舞うような、今までの浅田選手とまったく違うSPでした。

衣装もグラデーションがかかって本当にぴったり!!

ファンの中で神のプログラムだと思って、またいつか踊ってくれないだろうか

と思っていたら、ソチ五輪のSPはこの曲で滑ってくれました

今までミスをすることがなかったSPですがシニア初戦の世界選手権で大失敗をします

5位というかなり下の位置から逆転優勝を狙います

この時の浅田選手は直前でステップを踏んでからトリプルアクセルを跳ぶ挑戦をしていて

今までの試合ではNHKで初めて降りた(ギリギリ)のと全日本選手権で決めたぐらいでした

ステップからのトリプルアクセルは男子でも難しい技なのです

「やめればいいのに」というような声もある中、浅田選手は何度失敗しても

試合の度に挑戦していたのです。その姿に私はいつの間にかファンになっていました。

もうステップからのアクセルはやめて無難にまとめて優勝するという手もあります

ステップを踏まなくてもアクセルはすごい技です

でも、浅田選手はやりました。ノーミスをしたのでやり遂げたのです↓↓↓

しかし、この年の優勝は安藤美姫さんでした。浅田選手は2位

たった1点差ぐらいの本当に僅かなもので

浅田選手はテレビの前から「ちょっとすみません」と涙を浮かべて消えていました

表彰式では戻っていましたが目が腫れていました

本当に悔しかったんだなと思いました。

シニアに上がって初めてでそこまで行ったのに?!?!と思ったのですが

浅田真央選手の闘志を感じて、その想いにすごいと!!とファンになりました。

次の年、浅田選手は世界選手権優勝を目標にしていたと思います。

しかし、SPは失敗がよくありました。

それでも「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」は

ファンの中で大人気のSPでした。世界選手権でノーミスで演技を終えます。

優勝を狙える位置でフリーに臨みますが

ここでとんでもないアクシデントが起こります。

ソチ五輪のフリーも伝説ですが、このフリーも伝説です

最初のトリプルアクセルを大失敗。まだ1回転でも回っていればよかったのですが

完全に飛ぶ前の失敗、さらに転倒によるマイナス1点も加わります

それでもそのあとはノーミスで演技を終え、その結果優勝します。

派手にこけて、もうダメだとおもったら諦めたり、気持ちが切れてしまってもおかしくない!

それでも諦めず演技を終えてさらにも優勝した浅田選手に感動しかありませんでした。

実は直前にカナダ人のコーチと決別することになって、一人で臨んでいました。

浅田選手は日本で練習するのがいいのですが

どうしてもカナダに行かないといけなくて難しくなったのです。

優子社長が持っているデジカメは浅田真央選手が世界選手権優勝した時の

Asada mao モデル限定500!シリアルナンバー245です(笑)

もう携帯で写真を撮れる時代ですが大切に使ってます!!

優勝の次のシーズンはオリンピックの1年前(プレシーズンの年)になります

この時はSPは月光。今まではジャンプを降りていたら得点だったのが

回転を厳密にチェックして回転不足が取られるようになります

3回転でちゃんと降りたら3回転の得点ですが

3回転して降りても、ギリギリだったり着地で危ないようなのは

「つまり回転が足りない」となるのです。

そうなると2回転の得点になった上に、2回転の得点からさらに減点を取られます

浅田選手は回転不足を取られることが多かった。

ジャッジのことはわかりませんが、特に浅田選手には厳しい印象がありました。

他にも新ルールは浅田選手を追い込みます。

浅田選手の3回転ー3回転のコンビネーションは

フリップーループという組み合わせですがフリップを降りてきた勢いを抑えて

そのままループを跳ぶのでどうも回転不足が取られやすかったのです。

さらに跳ぶ前のエッジチェック(踏切の時に外と中のどっちにのっているか)も

厳しくなり、浅田選手はルッツのエッジが間違っていたのです。

むしろこの回転不足も浅田選手の独壇を阻止するような動きな気もしていました。

それでも浅田選手はルールとだけ言って、何度もジャンプを修正します。

五輪プレシーズンだったにも関わらず全試合かなり苦戦し大変でした。

それでも結果を残し続けたのです。

世界的に有名な「タラソワさん」は今までは振り付けだけでしたが

コーチになってくれました。

3回転ー3回転が決まらない浅田選手にタラソワさんがある提案をします。

SPでトリプルアクセルを入れてはどう?

3回転半ー2回転(2回転は一番簡単なトゥループにする)

コンビネーションにするのです。

当時のSPは規定はジャンプの回数は3回

・ダブルアクセル

・3回転の単独ジャンプ

・コンビネーションジャンプ

(3回転以上のジャンプと3回転、または3回転以上のジャンプと2回転)

これを失敗すると大幅な減点でした。

つまりコンビネーションジャンプで3回転を跳び、その後1回転になったらそれは失敗です。

2回転ー2回転でもダメなのです。

さらに同じジャンプは2種類までなので全部を同じジャンプにするというのはできないのです

だから得意じゃなくても色々な種類のジャンプを選手は跳ぶことになります

浅田選手は国別選手権、つまりチーム対抗戦のエキシビジョンマッチで

実験的にコンビネーションを トリプルアクセルー2回転に変えました。

そして素晴らしい得点となりました。

なのでバンクーバー五輪はこの構成で臨みました。

バンクーバー五輪ではトリプルアクセルをSPで1回、FPで2回決めて

五輪で3回もトリプルアクセルを決めた女子シングル選手としてギネスブックにのりました

この時、キムヨナ選手も合計得点が歴代最高でギネスに認定されましたが

それは今年の世界選手権優勝のメドベージェア選手が更新しております。

浅田選手はSPの歴代1位となっていましたが、

それもメドベージェア選手が更新してしまいました。

しかし、トリプルアクセル3回のギネスは破られることはありません。

浅田選手の歴代最高得点SPはこれです

ソチ五輪のSPで大失敗。その後の世界選手権でSPを完璧に決めて

FPも高得点となり優勝します。

浅田選手がバンクーバー五輪のSPでトリプルアクセルをとんでから

こまれでSPは「ダブルアクセル」が規定になっていましたが

「ダブルアクセル またはトリプルアクセル」と変わりました。

つまりこうなります

・ダブルアクセル または トリプルアクセル

・3回転の単独ジャンプ

・コンビネーションジャンプ

浅田選手はコンビネーションの時にしかトリプルアクセルを跳べなかったのですが

単独のアクセルをトリプルアクセルにすることができます

・トリプルアクセル

・3回転ー3回転のコンビネーション

(3回転ー2回転)

・3回転単独ジャンプ

とできるのです。

その構成で歴代最高得点を取ったのが先ほどの演技です。

女子のルールを変えたレジェンドでもあります。

ソチ五輪の2年前に浅田選手は母を亡くし大変だった時期があります。

そんなつらそうな浅田選手を自宅に招いたのが振付師のローリーニコルさん

「もう何もしなくていい」と言ってただただみんなで楽しく過ごしたそうです。

そこで過ごす事で浅田選手が滑りたいと言い、エキシビジョンから作ることになります

(ショーや上位選手だけがお客様への感謝の気持ちを込めて試合後に滑るプログラム)

ローリーニコルさんはとにかく浅田選手がリンクに向かうのが楽しいと思えるようにと

楽しい曲を選びます。エキシビジョンのつまりでしたがそれがSPになりました。

優子社長が一番大好きなSPです

浅田選手は、怪我をしていても不利なルールになっても絶対に言いません。

後からそうだったんだ!!とわかるのです。

そして有言実行でした。

浅田真央選手が復帰したシーズンの全日本で引退を決めて姉の浅田舞さんを会場へ呼びます

その時3位になって世界選手権へ行き、続行を決めます

今まで苦戦していたルッツが完璧に決まったのです

順位や得点では3位かもしれませんが、浅田真央選手は見るたびに成長しています

成績は良くなかった今シーズンもSPとFPの曲を全く同じにするという試みでした!!

同じ曲なのに全く違うストーリーで、浅田選手の表現力や挑戦する、

いつでも成長されていました。

今まではトリプルアクセルに失敗した時のリカバリーを考えることはしない!!

それは失敗するってことを考えることになるので

迷うと失敗する!!と言っていました。

でもその後はリカバリーも練習するようになったと本に書いてありました。

そういう心情の変化もあったように思います。

浅田選手は平昌五輪までやる!と言っていたのですが

有言実行の彼女が初めて言ったことを取り消した決断。

それが今回の引退です。

本当にやりきったんだなと思います。

浅田真央選手を皆さんは天才というかもしれませんが、

私は

努力をすることに天才なんだと思います。

周りに何を言われても自分のやりたいことを貫く!!

その意思を支えたのは練習

練習で出来ないことは本番では出来ない!!

と練習の鬼だったようです

姉のお姉さんがトリプルアクセルがダメだった時

「今まで毎日、そして何年も跳び続けたものがなくなるわけないじゃない!!」

と励ましたそうです。

その言葉で立ち直ったというぐらい浅田選手を支えたのは練習だと

浅田真央選手の本でわかります。

辛かった日々のこともテレビでは語らないので

しばらく経ってからの本でわかるんです

今までの演技はずっと撮ってあり、

県外でしか映らないものは応援していて現地で知り合った方が送ってくれました

勇気とパワーをもらったのと縁もいただいました。

観戦に言ったらファンが集まるサイトでレポートを書かせてもらって

それがひろ記者になったり、ブログを書くことにつながっていると思います。

フィギュアスケートの番組がテレビであるときは

「優子社長が行っているんじゃないか」

「映っているんじゃないか」

と探す癖がついたと友達は言います(笑)

それぐらい観戦していたのです。

ちなみに残って映像だとこの2つです

優子社長を探せ

5分39秒↓

14秒↓

14秒の方は垂れ幕を持っているのでわかりやすいかもしれません。

現地で観戦することでたくさんのことがわかりました。

テレビとは全く違うんです。

他の選手のファンであっても垂れ幕を一緒に持ってくれたり

逆に垂れ幕を持つのを頼まれたり

「プレゼント投げに行くならその時は席を替わってあげるね

その方が行きやすいから」

と言ってくださったり

初の現地観戦から色々教えてくれ、友達もでき

行ったことがなかった県に行くこともできました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

浅田真央選手のことを思う存分に書きながら

いっぱい思い出に浸りながら

浅田真央さんという選手と同じ時代に生まれてよかったなと思います。

これからも応援していますし、大好きです。

もう浅田真央選手じゃないか。。。。。

浅田真央さん、本当にありがとうございます。